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かつて阿波の国 徳島は、藍の国だった。その起源は四百年ほど前まで遡る。
領主となった蜂須賀家政は当地に藍作技術者を招き、栽培と製造の指導にあたらせた。
やがて十八世紀、阿波藍はその名を全国に轟かすに至る。それほどまでに藍染産業が隆盛をきわめた理由は、先人の情熱と技術であることは言うに及ばないが、もうひとつこの地の自然風土があった。徳島平野を流れる吉野川は、豊かな水資源と水運をもたらす一方、毎年のように洪水を繰り返し、農民を苦しめた。だが、洪水が起こる台風シーズンの前に収穫される蓼藍には影響はない。しかも洪水で流れ込む土砂のお陰で連作障害を起こさずにもすむ。人間と自然の巡りあわせの偶然。そして、この地ならではの農耕と染色の二つの技術と匠の出会いが生み出した阿波藍。
藍の製造業者はわずか数軒となった現在。だが、阿波藍づくりの魂と技は、この地にいまも確かに生き続けている。

 

 


藍師  Ai-shi

藍師とは、藍染めの染料となる蒅(すくも)づくりの技能者である。
かつてこの地には数多くの藍師がいた。時代とともにその数は減り、いまではわずか五軒の製造所を残すのみとなった。
ここに一人の藍師がいる。黙々と迷うことなく一本道をひたすら歩む。「ええ蒅をつくれ」先代のそのひと言だけを道しるべに。

 

 

蓼藍  TadeAi

 

ジャパン・ブルー。
日本ならではの、日本にしかないブルーとして世界からそう賞讃される藍染め。それは蓼藍というタデ科の一年草から生まれる自然の恵み。
明治後期の最盛期、作付け面積は一万五千ヘクタールに及んだという。人と自然が手を結んでこそ得られる深く、豊かな色あい。それは、この畑の産物だ。

 

藍をなによりも愛すること。手をかけ、目をかけ、時間をかけて。

三月初めの大安の日。
毎年蓼藍の種は蒔かれる。藍師の一年の仕事はこの日から始まる。やがて四月の中頃、数センチに育った苗を畑に定植していく。稲でいえば田植えにあたる作業だ。
ここからふた月、若々しい緑の葉は太陽の光と雨と、夏へと向かう自然のエネルギーを受けてすくすくと育っていく。その間も藍師に休みはない。
肥料を与えたり、草取り、土寄せと愛情を惜しみなく、絶え間なく注ぎ続ける。まるで我が子の成長を見つめる親の眼差しで、また年の天候にも気をまわしながら手をかける。

 

定植から六十日。六月下旬の梅雨の晴れ間を見計らって一番刈りを行なう。以降、二番刈り、三番刈りと収穫は暑い夏の間続いていく。
刈り取った葉藍は、風力で茎と葉に選別し、天日で乾燥させる。ここでもまた太陽の光は欠くことのできない大切なもの。
その年の天候により、天日だけでは充分な乾燥が得られない時は、乾燥室で温風による乾燥も補助的に行う。だが天日には及ばない。
古の昔から行われてきた人と自然の共同作業。人に情熱があるかぎり、空に太陽があるかぎり。

 

新居 修

子供の頃、家業を憎んだ。手伝いばかりをいいつけられて友だちと遊びにも行かせてもらえなかった。
若い頃は、ほかの仕事がしたかった。だが、家業を継ぐのが長男の務め。
いまは思う。元気なかぎり、命のあるかぎり藍師でいたいと。次の人たちと未来に残したいと。

 

 


蒅 阿波の自然の恵みと伝統と、藍師の技と魂の結晶。

美しい本物の藍染めの素。
蒅をひと言で言えばそうかもしれない。しかし、そこには、吉野川がもたらす肥沃な土壌と太陽と水と、阿波の豊かな自然が生きている。
そして、この阿波の地に脈々と受け継がれてきた歴史と伝統と、藍師の技と魂が息づいている。

 

 


藍の華

蒅に木炭からとったアルカリ液などを加え発酵を促し、藍染めの染液をつくる。その発酵の過程でできるのが藍華だ。
いよいよ布を鮮やかに染め上げる準備が完了間近。その前にみずからひと華咲かせるかのよう。

 

 

染師

藍師が魂を込めて一年をかけてつくる蒅。それに自然界の原料だけて染液に調合し、染める。
阿波に古くから伝わる「天然灰汁発酵建て」である。その伝統の技を継承し、本物の藍染めにこだわり続ける染師がいる。
化学染料は一切認めなかった先代のやり方を当たり前として受け継いだだけだという。

 

 

いかにその色に自分を出せるか。

染める前にまず染め液をつくることから染師の仕事ははじまる。蒅は灰汁のアルカリ濃度で表面に付着させる顔料にも布に浸透させる染料にもなる。
染め手の意図が表現できる染料といえる。味わい豊かな色あいはもちろんのこと、染師が自分を出すことができる。「天然灰汁発酵建て」の魅力と難しさがここにある。
お客様のあらゆる注文に応えること。それも自分自身が納得いくクオリティで。それが職人であり、私はそんな職人になりたい。と、古庄紀治は語る。
それまで「絹には手を出すな」が定説だった絹への藍染めも挑戦した。他では現在行われていない藍染の注染にも日々取り組んでいる。
これからの夢、やりたいことはすべて仕事だという。

 

 

古庄紀治

「それは本物なのか?」先代の理一郎氏が常々口にしていた言葉だという。
本物だけにこだわり、本物にこそ価値があるという父親の教えであり、仕事については一切なにも言わなかったという。
古庄藍染處の六代目として、先代と同じく本物にこだわる「現代の名工」だ。

 

 


職人にゴールはない。

見習いに来ている若い人たちには、口では特になにも教えない。それは先代の親父もそうだった。
教えない方がその子らしさが作品に出るから。技術はそばで見て学んだ。ただ失敗をした時だけは、なぜ失敗したのかを言ってあげる。
それと、自分がなにを目指すかだ。
作家を目指すのなら、基本の習得だけでいいから三年でいい。職人を目指すなら最低は十年。そしてゴールはない。

 

 

天然藍染

必要とされなくなればなくなる。藍師の新居修は言う。だが、いま国外からも注目され、その魅力がまた見直されてきているとも言う。
蓼藍を育て、蒅をつくり、天然灰汁発酵建てで染める。永い伝統に培われた阿波の藍染め。本物を愛する人と本物にこだわるつくり手がいるかぎり、続いていくだろう。
藍師がいて、染師がいて。時にふれあい、語りあい。そこに伝統と革新のケミストリーが生まれる。そして、阿波藍は、つぎの新たな未来へ。