2018年6月、再び徳島県を訪れた。目的は阿波藍を知ること。以前徳島県庁を訪れた際に、エントランスが大きな藍染めの布で装飾されていたのを想い出し、徳島県庁の方にご紹介頂いた蒅(すくも)を生産されている「新居製藍所」様と藍染めをされている「古庄染工場」様に伺うこととなった。
かつて阿波の国 徳島は、藍の国だった。その起源は四百年ほど前まで遡る。
18世紀、阿波藍はその名を全国に轟かすに至る。それほどまでに藍染産業が隆盛をきわめた理由は、先人の情熱と技術であることは言うに及ばないが、もうひとつこの地の自然風土があった。徳島平野を流れる吉野川は、豊かな水資源と水運をもたらす一方、毎年のように洪水を繰り返し、農民を苦しめた。だが、洪水が起こる台風シーズンの前に収穫される蓼藍には影響はない。しかも洪水で流れ込む土砂のお陰で連作障害を起こさずにもすむ。人間と自然の巡りあわせの偶然。そして、この地ならではの農耕と染色の二つの技術と匠の出会いが生み出した阿波藍。
藍の製造業者はわずか数軒となった現在。だが、阿波藍づくりの魂と技は、この地にいまも確かに生き続けている。
藍をなによりも愛すること。手をかけ、目をかけ、時間をかけて。
藍師がいて、染師がいて。時にふれあい、語りあい。
そこに伝統と革新のケミストリーが生まれる。そして、阿波藍は、つぎの新たな未来へ。